英語は「借り物」か「ツールか」を考えてみる

英語は「借り物」か「ツールか」を考えてみる

今回は私が英語のとらえ方を変えたことで起こった変化について書いてみたいと思います。個人的な体験ですが、同じように英語についてのイメージで迷っていらっしゃる方の参考になれば幸いです。

突然ですが「英語を話す人」と聞くと、どのようなイメージを思い浮かべますか?

私は以前は英語を話す人と聞くと、真っ先に英語のネイティブスピーカーを想像していました。

英語が第一言語とされている国は、アメリカ、イギリス、カナダ、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ共和国だそうです。この国々の人たちが話す英語ですね。

ネイティブスピーカーの話す英語を目標として、そこに追いつきたい近づきたいという発想。うまく言うのが難しいのですが、英語はその国々の人たちから「借りている」ようなイメージに近かったと思います。

一方で英語が第一言語ではないけれど英語を使用してコミュニケーションをする人たちも世界にたくさんいます。

その比率は(諸説ありますが)大体このようになるそうです。

英語を第一言語とする人(ネイティブスピーカー) 約3割弱 : それ以外の英語を使用する人 約7割強

今の私は、英語は世界の色々な国の人たちとかかわりを持つための共通語だと考えるようにしています。

上の表で言うと、3割のネイティブスピーカーと話をするだけでなく、残りの7割の人たちを含めた人たちと意見を交換したり、仕事をしたりというために使う言葉、共通語という感覚です。

英語を共通語として見ることで、英語の感覚が「借りているもの」から「自分で使うためのツール」に変化し始めました。

「グローバル英語」設定で英語の世界の見え方が変わる

共通語は最近よく聞くようになった、「グローバル英語」とも置き換えられますね。

英語をこのようにとらえるようになったことで、私は心理的にもスキルの面でも、英語が以前よりもずっと使いやすくなり、また学びやすくなりました。

以前、英語は私にとって「借り物」で「憧れ」の言葉でした。英語の「完成形」はネイティブスピーカーの英語で、それと比べると圧倒的に出来ない自分にがっかりしたり、自分が英語を使うのはまだ早いと思ったり・・。

比較の対象をネイティブスピーカーに置くことで、「ネイティブ英語」に憧れとコンプレックスが入り混じる複雑な感情をもっていました。

ずっと手に入らない宝物を追いかけているような気がして苦しかったのです。

なかなかつかない自信の正体

「もう少しうまくなったらこの気持ちは消えるかな?自信がもてるかな?」

いつもそんな風に思って色々な勉強を続けてきましたが、先生になっても英検1級を取っても、その気持ちは消ず、英語を母国語とするネイティブと自分を比べるので、英語に対する自己評価は低いままでした。

「同時通訳が出来るようになるくらい頑張ったらこの気持ちは消えるのかなあ。」そのように思うようになったころに、尊敬する方から質問をなげかけられます。

第一線で英語を使ってお仕事をされているその方は私にこうたずねました。

「あなたはネイティブスピーカーになるのが夢なの?」

「自分の英語にOKを出すのは自分しかいないと思うよ。」

それを聞いて、はっとしました。

このままの気持ちの持ち方では、いつまでたっても私は自信を持てないし、英語を自分の言葉・ツールだと思えない。今のままの私では、きっと一生かけても、生まれ変わってネイティブスピーカーにでもならない限りは自分にOKが出せない。

はじめから英語に対する設定がおかしかったのだと気が付きました。

自分の英語の目標は何かを整理する

「私は英語のネイティブスピーカーになりたいの?」

「彼らに『すごい!外国人だと思えないくらい英語がうまいね!』と言ってもらうのが目標?」

「交流したいのは英語のネイティブスピーカーだけ?」

あらためて考えてみると、答えはNOでした。

私は日本人で、自分の文化や意見を持っていて、それを大切にしながら海外の人と交流をしたい。

日本だけでなく、色々な国の情報や、人の考え方を知りたいし、知ってほしいし、一緒に学びたい。

仕事の幅を日本だけでなく、色々な国に広げたい。

そのために実質的に必要なツールが英語なのです。だから私は英語を使いたい。

こなれた表現やかっこいい言い回しをしらなくても、英語を共通語・ツールとして必要なことを必要な場面で、色々な国の人に分かりやすく伝えられる。用事をきちんとこなせる。そんな英語を使えるようになりたい。

もっと効率よく、スムーズに使えるようになりたいから勉強も続けよう。

「ネイティブ英語」を追い続けて自分にダメ出しをつづけるより、「グローバル英語」を使えるようになって英語をどんどん利用して、道のりを楽しもう。

そう気持ちが切り替わりました。

英語との距離感の変化

そもそも、ネイティブスピーカーが分かるこなれた表現を、外国語として英語を学びツールとして使っている人たちが理解している確率のほうが少ないかもしれません。

不思議なことに、そのように腹をくくると英語との距離がずっと近くなった気がします。

色々な国の人と、意見交換したり、英語というツールを使って必要なことを学ぶということが積極的にできるようになりました。

英語は手に入らない宝物ではなく借り物でもなく、今は自分の中にあるツールです。

母国語でさえ間違えることも知らない表現もあるのだから、英語で間違うのは当たり前。パーフェクトではないけれど、使ってメンテナンスして、また使ってさらに良くするために改良して・・と使いながら育てている感覚に変化をしました。

英語学習の迷路に入り込まないために

私は英語のやりなおしにずいぶん時間を費やしてからこの感覚にたどり着きましたが、もっと早くから(もっと言えばスタートから)この「『共通語』を身に着け、使うために学習をしているんだ。」という意識があれば、途中の道のりで挑戦できたことも、見える景色が違っていたのではないかと思います。

世界にでるとたくさんの人が英語を話しています。練習をしてとてもうまい人もいれば、そうでない人もいます。

母国語と言葉の成り立ちが近くて簡単にマスターできる人達もいれば、私たちのように発音も構造も違うところから共通語を学ばなければいけない人達もいます。

でも、色々な人が共通語を介して、相手を理解したり、情報を交換したり、仕事をしたり、人助けをしたり、思い出を作ったりしています。

自分でOKを出せるかどうかで、その世界に一歩踏み出せることはいつからでも可能なのだなあと思います。